仏教を開いた釈迦とは、その生涯と仏陀との関係を解説


釈迦は、紀元前5世紀頃、インド北部の小国カピラヴァストゥの王子として生まれました。

釈迦とは釈迦族という部族の名で、本名はゴータマ・シッダールタ。
釈迦牟尼と呼んだり、釈尊ともいいます。
釈迦の生誕は下記のように伝えられています。


ある日、王妃マーヤーは、天から降りた白い像が自分の胎内に入る夢を見ました。
マーヤーは身ごもり、やがて出産が近づいてルンビニーの花園へ立ち寄ったとき、沙羅双樹の枝に右手を触れると、その右腕から釈迦が生まれ出たのです。
釈迦は、誕生後すぐに7歩歩き、右手を天に、左手を地に向け、「天上天下唯我独尊」と唱えました。



母親のマーヤーは釈迦を産んで7日後に亡くなりますが、王は後妻としてマーヤーの妹をめとり、釈迦は応じとして何不自由なく育てられていきます。
学問や武芸にも大変な才能を発揮した釈迦は、王を継ぐ者として周囲の期待を集め、17歳で結婚、子供も生まれました。

一方で、釈迦は城の外で民衆の暮らしに触れ、人々の苦しむ姿を目の当たりにしました。
病、老い、死、餓え、欲望。
釈迦はこの世の現実を知ると、深く憂い、苦悩したといいます。

そして釈迦は29歳のとき、妻子も、王位もすべて捨てて、出家をします。
従者一人だけを連れて、愛馬カンタカにまたがって城を出たのです。

釈迦は煩悩を捨て、悟りの境地に達するため、ひたすら修行に努めました。
はじめは高僧たちを訪ねて師としますが、釈迦はその教えをすぐに会得してしまい、学ぶものがないと知ると、断食や苦行を課しておのれの肉体に苦難を与えました。

インドに残る苦行釈迦像はそうした修行時代釈迦の像で、骨と皮ばかりの体は修行の凄まじさを物語っています。

釈迦の厳しい修行は山中で6年続きました。
しかし、このまま苦行を続けても悟りは得られないとわかり、仲間から離れて山を下りたのです。
釈迦の肉体は瀕死の状態にありましたが、身を清めるために川で沐浴していると、スジャータという名の娘が通りかかり、釈迦に乳粥をほどこしました。

釈迦は心身ともに精気を取り戻します。
そして、ガヤーの地の菩提樹の下に座り、瞑想に入りました。
7日目の夜明け、深い瞑想の中で釈迦はついに悟りを開きます。
万物の真理に目覚め、仏陀となったのです。


仏陀とは目覚めた人、悟りを得た人を指し、ガヤーの地はブッダガヤーと呼ばれるようになりました。

仏陀となった釈迦はサールナートという地で、かつて行動をともにしてきた5人の修行僧を相手に最初の説法をします。

彼らは、もともと釈迦を連れ戻すために父親が送った警護のための従者たちで、ともに修行をする身になっていましたが、修行をやめて山を下りた釈迦に失望を感じていました。

釈迦は、彼らに心理の教えを説きました。
5人は釈迦の言葉に深く心を動かされ、その教えを受けるために釈迦を師と仰ぐようになりました。

釈迦は人々の救済を生涯の目標とし、各地を巡って伝道の日々を送りました。
弟子たちは続々と増えて、のちに十大弟子と呼ばれる高弟たちもあらわれます。

35歳で悟りを開いた釈迦の伝道生活は80歳まで続きますが、クンナガラの地で体調を崩し、釈迦はついに涅槃のときを迎えます。
沙羅双樹に囲まれた床で、頭を北に向け、右脇を下にして横たわりました。
弟子達を前に、「自らを灯明とし、自らをよりどころとして地を便りとせず、法を灯明とし、法をよりどころとして生きよ」と説きました。

釈迦入滅の日とされる2月15日には、現在でも「涅槃会」と法要が行われています。


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