川柳とは何か、川柳の歴史とその種類を解説


川柳の歴史

川柳のはじまりは江戸中期の宝暦7年、柄井川柳の「川柳評万句合」によるとされています。
この時代、江戸は全国からの寄せ集めで、すでに百万都市となっており、田沼時代から寛政の改革へと向かう時代でした。
また、早害により、全国に農民一揆が勃発した動乱の時期でもありました。

このとき川柳は、まだ「前付句」といって連歌の影響が強く、示された題に付ける句を募集していた形式をとっていました。
その募集方法をみると、「課題を出して点料を決め、投句所を指定した広告を出して付句を募集」「発表4日前に締め切り、選をする」「発表時には選を終えて刷り物にして投票所に渡し、入選句には賞品を出す」という面倒な手順がとられていました。

昭和2年、「柳多留」という本は、それまでの「川柳評万句合」から756句の秀句を選んで出版されたものです。
それが、今でいえば飛ぶように売れ、その後、数々の秀句を選んだ「柳多留」は21篇まで刊行され、川柳というジャンルの基礎が作られています。

この成功の裏には、それまでの「前句付」がなくなって「一句立」となったことによると言われています。
どうしてかというと、「前句付」では事前にその
課題を読んでおく必要があり、時間だけでなく面倒な手順が必要でしたが、「一句立」になると、ふだんでも自分の感性に従って、自由に川柳が作っておけるようになるからです。

また、「柳多留」が飛ぶように売れたのは、応募するには、それまでの入選作品を読んでおくことが有利であったからです。
それは今日でも、コンテストの秀句やそのコツ、その傾向と対策など知っておこうとするのとまったく同じ人情でしょう。
「柳多留」ベストセラーの手法もそこをねらった手法で、版元は花屋久次郎という川柳作家であったといいます。

寄稿句は多いとき三万句を超え、一万句以上が6回という盛況ぶりであったといいますから、当時の俳句人口をはるかにしのいでいたと言えるでしょう。


川柳とは何か、種類の解説

川柳とは何かを広辞苑で調べてみると、

「前付句から独立した十七文字の短詩。俳句とはその趣を異にし、切れ字・季などの制約はなく、多くは国語を用い、人情・風俗または人生の弱点を衝き、世熊の次陥を諷し、簡潔・滑稽・機知・諷刺・奇警が特色」

となっています。

「江戸川柳辞典」の浜田義一郎先生は川柳を下記のように分類しています。

「縁語(えんご)」「洒落(しゃれ)」「地口」「見立て」「並列」「取り合わせ」「暗示」「言葉使い」「数字利用」「文句取り」

それぞれの種類を「柳多留」の作品から例を取ってみていくと下記のようになっています。

縁語:句の中に、関係のある言葉を並べる。
[例]水が出て元の田沼と成りにけり(水と沼)

洒落:連想、対比などによって、洒落気分をだす。
[例]やぼにしていることだよと通なやつ(野暮と通)

地口:語呂合わせともいう。
[例]髪よりは無駄にゆうのが多いなり


見立て:本来は関係ないものを他のものになぞらえて表現すること。
[例]薬札は取るより早く脈をみる

並列:二つ並べて対比すること。ときには三つのこともある。
[例]酒なくて見れば桜もかっぱの屁(酒と桜と屁)

取り合わせ:作品に同じ匂い、同じ響き、あるいは、反対の響きを持つものを組み合わせること。
[例]役人の子はぎにぎをよくお覚え(役人の賄賂と赤ん坊のにぎにぎ)

暗示:別のものを示して、それとなく感じさせること。謎解きに近く、教養が試される。
[例]一年を二十日で暮らすいい男(一年を二十日で暮らす、そのいい男とは?答えは相撲取り『当時の本場所二十日』)

言葉使い:その特徴から、その人や出来事を創造しなければならないこと。
[例]仙人の目にちらついた雪の肌
(空を飛んでいた久米仙人と、川辺で白い足を見せて洗濯をしていた女との情景。
仙人はふらふらとなって落下。)

数字利用:作品で示された数字には、時刻・日・年・人数・距離・金額・字数・個数などの意味がある。その意味を読み取らなければ作品の鑑賞にはならない。
[例]百人に女ふたりは好き嫌い
(百人一首に出てくる小野小町と相模のこと。
嫌いは、言い寄る男どもを振った小野小町。
隙は「恋に朽ちなん名こそ惜しけれ」と歌った相模)

文句取り:和歌の本歌取りが以前の名歌を別の趣で歌い直したのとちがって、その一節の文句を引いて作るテクニック。
ここにも作り手、鑑賞するものにも教養が必要とされる。
[例]お千代さん蚊帳が広くば泊まろうか
(加賀千代女の『起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さかな』の『広さ』を知って、それに答えた川柳となっている))


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