江戸時代の行商人の生活ぶりとは


借家人で行商する人の経済状態は、いくらか資料があります。
「うんびょう雑誌」などに少しずつ見え、裏店住いでも、商人の下男奉公人、武家の中間奉公人よりは、わずかでも財産があり、自由であるから、我等のほうが良いという意識を持っていたようです。

柳里恭の話は、京都の行商人の話ですが、江戸の行商人にも通じます。

「伏見より年70歳ばかりなる老翁、土偶人・瓦器のたぐいを荷いて、洛中をうりありくあり。
常にあきなう家に来りて、食事をする折から、その家の奉公人大勢あつまり、かの翁にいいけるは、その価いかほどばかりの品にや、と問えば、翁こたえて、銀156匁ほどの荷なるべし、という。
また問う、京の町は人の行かい繁きところにて、もしあやまちてな砕くまじきものにあらず、さようのといきはいかがするや、ととえば、それこそ過ちなれば、さることなしというべからず、さある時はそのことをありのまま述べて、我等が年久しく商うならば、一荷ぐらいは情にて借受て商い申なり、という。
また問う、そのうえにもまた砕くまじきものにあらず、その時はまたいかがするや、となじりいえば、いかに問屋なりとて、数度の無心もいいがたければ、その折こそ、基許達のごとく奉公なりとも致すより外にせんかたなしといえり」
と面白い話をしています。
これでわかるのが、この行商人は現金で問屋から買うことと、その商品が銀15、6匁、金に直して金一分、庶民一家一日の生活費ぐらいの商品であることと、奉公人よりも優越感をもっていることです。
言い換えれば、プチブルジョア的な意識をわずかながら持っていることです。


栗腹柳庵は江戸の野菜行商人が、自己資本あるいは高利の金を借りて毎日行商して利益があるのをいっています。
一日の収支、怠惰な妻、労働から帰って一杯飲めば何も野残らない無産者生活がよくわかる文があります。

「菜籠を担てじんじょうに銭670を携え、かぶら、大根、レンコン、芋を買い、我力の有るかぎり肩の痛むを屑とせず、脚に任せて巷を声ふり立て、かぶらめせ、大根はいかが、蓮も候、芋や芋やと呼ばりて、日の脚もはや西に傾くころ、家に還るを見れば、菜籠に一擲ばかりの残れるは、明朝のしんすいの儲なるべし。
家には妻いぎたなく、昼寝の夢まだ覚やらず、懐にも脊にも、幼稚き子等二人許も横堅に並び臥たり。
我家に入りて菜籠かたよせ、竃に薪さしくべ、財布の紐とき、翌日の資本を算え除け、また房賃をば竹筒へ納めなどすること、妻、眼を覚し、精米の代はという。
すわといいて、200文をなげ出して与うれば、味噌もなし、ひしももなしという。
また50文を与う。
妻は麻筒を抱えて立出るは、是も外の方へ走り出づ。
然てなを残る銭100文余、または200文もあらん。
酒の代にや為しけん。
積て風雲の日の心充てにや貯えるらん。
是某日稼の軽き商人の産なり。
担し是はなお本賃を持ちし身なり。
是程の本貨も持たぬものは人に借るに、暁鳥の声きくより、棲鴉の声きく迄を期とす。
利息は百文に二文とか三文とかいう。
一両に200文の利息、然も一日の期なり。
一月に六貫の割と知らる。
但し借る人は700の銭にて、一日に一貫230文にも売上るゆえ、700文の銭に廿一文の利息を除て、某外に575文の稼ぎあり。
依て借るも貸すもともに利ありて損なし」

とあります。
この柳廉は幕末の人ですから、この資本は幕末の資本だといってよいでしょう。
資本700文で8,9割の利益があって一貫2、300文になりますが、自分の資本ならば100文か200文が残る。
月一倍の高利を借りても、利息は700文に21文だから大した相違がないというのです。
前の瓦器売の商品は一両の4分の1位、これも大体同じ位の商品ですから、共に資本は700文位でしょう。
そうして生活費は500文位でしょう。
文化頃ですが、江戸貧民の一日の稼高は、最低2、300文ともあるので、中期以後の貧民の生活費は一日2、300文から500文位と見ていいでしょう。


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